計算基礎科学連携拠点ではスーパーコンピュータ「富岳」成果創出加速プログラムの研究開発課題のひとつである「シミュレーションで探る基礎科学:素粒子の基本法則から元素の生成まで」の実施拠点として所属する多くの研究者とともに成果創出に携わってきました。今回は計算基礎科学連携拠点の拠点長である橋本省二が成果創出を目指して拠点で行われている研究を紹介する「拠点長コラム」の第3弾。不安定な原子核は放射線を放出して最終的に安定な原子核になりますが、放射線を放出するまでの時間は原子核により様々です。その原因は何なのでしょうか?
原子核ってふしぎ
「原子核物理」にどういうイメージを持っていますか? 核兵器を作り出した悪魔の科学? その結果があまりに悲惨だったためにそのイメージが先行してしまうのは無理のない面があります。でも、科学というのは本来、自然を理解しようとする営みのことです。この現象はどう説明できるのか。関心はそもそもそこにあります。例えば、原発事故で広く散らばってしまった放射性物質、セシウム137の半減期は30年。今後何世代にも渡って少しずつしか減らないわけです。どうしてそんなことが起こるのでしょうか。不思議なのは、半減期の短い原子核には数日のものもあれば、逆に長いものでは何万年というのもあるということ。こうした違いはどこからくるのでしょうか。
不安定かつもっとも単純な原子核は中性子です。とは言っても中性子だけでは周りに電子をともなって原子を作ることはできませんからこの呼び方はおかしいのですが、単純な例ということでまずはこれを考えてみましょう。中性子はベータ崩壊といって電子とニュートリノを出して陽子に壊れます。その半減期は10分程度。セシウムの例と比較すると短いと感じますが、逆にミューオンのベータ崩壊(マイクロ秒くらい)と比較するとずいぶん長い時間です。これらはいずれも弱い力が引き金となって起こる過程なので、どれも似たような半減期になってもよさそうなものですが、そうはならないようです。
原子核がその種類によっていろんな半減期をもつのはなぜか。中性子の半減期がミューオンよりずっと長い理由は主に、この崩壊で放出されるエネルギーが小さいことによります。出てきた粒子が大きなエネルギーを得て勢いよく走れるほど、そういう過程が起こりやすいというルールがあります。中性子がほぼ等しい質量をもつ陽子に変わる過程ではエネルギーの放出がほとんどなく、おかげでその過程はまれになり、平均して10分も待たないと起こらないわけです。ですが、セシウムの例のように何十年とか、他の原子核で何万年もかかるものになると、それだけの理由では説明できません。そこには原子核の構造、つまり形がかかわってくるのです。
原子核はどんな形をしているのか。簡単に言いますが、原子核には陽子1個だけでできた水素から、ヘリウム、リチウム、と続いて、大きなものになるとウランのように200個以上もの陽子と中性子がくっついたのまであるので、現実は相当にややこしいのです。一体どうなっているのか。私にもできる程度のおおざっぱな説明をしてみましょう。
陽子や中性子は、核力によって引きつけ合います。核力が働くのはフェムト・メートル程度のごく短距離のみです。これは陽子・中性子自身の大きさのせいぜい2〜3倍程度の距離に相当します。陽子は正の電荷をもちますので、陽子2つの間には反発力が働きます。この力に反して首尾よくごく短距離にまで近づけることができたら核力を感じてくっつくというわけです。中性子には電荷はありませんから、より簡単にくっつけることができます。ただし、中性子自身は10分程度の半減期でなくなってしまうので、中性子がどこかから供給される特殊な環境が必要になります。その話はまた別の機会に。
さて、核力によってくっつく陽子や中性子がどんな形をつくるかという問題です。ここに、陽子・中性子がフェルミオンであるという性質が大きくかかわってきます。フェルミオンは、複数の同種粒子が同じ状態をとることができません。核力のおかげでくっつく陽子や中性子は、できるだけエネルギーの低い状態に落ち着こうとしますが、その状態に先客があるとそこに入ることは許されないのです。陽子と中性子は、それぞれスピン(自転のこと)が上向きのものと下向きのものがあって、それらは別種の粒子だと思ってよいので、もっともエネルギーの低い状態で落ち着けるのは、スピン上向き陽子、スピン下向き陽子、スピン上向き中性子、スピン下向き中性子の4つまでです。こうして4つが固く結びついた状態がヘリウム原子核に相当します。ある種の放射性崩壊で出てくるアルファ線もこのヘリウム原子核で、とても安定なためによくセットで登場することになります。
より大きな原子核を作るにはどうするか。陽子・中性子が静かに集まって座れる席はもういっぱいですから、少し動きのある状態、例えば外側にふくらんで行ったり来たりをくりかえす状態や、周りをくるくる回る状態に落ち着かざるをえなくなります。原子のなかの電子の軌道と元素の周期表の関係を知っている人なら想像できると思います。これらはそれぞれ別の量子状態であり、そこに陽子と中性子が順々におさまっていくことになります。陽子が増えると電荷が増えますから、水素、ヘリウム、リチウム… と順に別の元素ができますが、中性子を加えても電荷は変わらないので、それらは同じ元素で同位体と呼ばれます。いまどれくらいの元素と同位体が見つかっているかご存知ですか? 図の通り、山ほどあるんです。水素はほぼ1番下、ウランみたいに大きい原子核をずっと右上ですね。
さて、原子核の構造の話に戻りましょう。どんどんくっつけるだけなら話は簡単そうに思えます。問題は、新たに加わった陽子・中性子が量子状態に影響をあたえてしまうことです。もちろんこの陽子・中性子も核力の源ですから、すでにいる別の陽子・中性子を引き寄せようとします。おかげで全体としての量子状態は一つ陽子・中性子を加えるごとに考え直さないといけないことになり、こういう量子力学の問題は非常に複雑なものになってしまいます。実際のところ、数学的に簡単に解ける量子力学の問題は粒子が2個しかないものだけで、それ以上になるといろんな近似や数値計算を使うしかないのが現実です。
さあ、数値計算の出番です。やるべきことは、エネルギーが最低になる状態を探す問題です。候補となる波動関数をたくさん用意しましょう。そこに陽子・中性子の詰め込んでいき、エネルギーが小さくなる組み合わせを探します。量子力学では、波動関数を重ね合わせて別の状態を作ることができますから、さまざまな波動関数のさまざまな重ね合わせ、しかも陽子・中性子の入れ方を変えた組み合わせをすべて考えて最適解を探すわけです。言うのは簡単ですが、単純にやると陽子・中性子の数を増やすごとに組み合わせの数が倍々ゲーム(実際はもっと悪い)で増えていき収拾がつかなくなります。そこからが研究者の腕の見せどころです。いかによい波動関数を用意するか、無関係なものを捨てるか、そこが肝になるわけです。
京コンピュータを用いた計算でわかってきたことを少しだけご紹介しましょう。ヘリウムの原子核は、陽子2個、中性子2個だけの単純な球形の塊でした。より大きな原子核ではもっといろんな形があらわれます。ラグビーボール型に伸びたものや、みかん型につぶれたもの。さらに、それらが振動したり回転したり、いろんなことが起こるのです。原子核には同位体といって陽子数が同じ(つまり同じ元素)でも中性子数が異なるものがいくつもあります。どれだけ中性子が多いものまで存在するのか。そこには原子核の形がかかわってきます。中性子を加えていくと球形よりもラグビーボール型に少しのびたほうがエネルギーを小さくできる場合があり、その効果が同位体の中性子数をどこまで増やせるかを決めるカギとなることが計算によって明らかになってきました。理研の世界最先端実験装置RIBFでの実験で明らかになったフッ素やネオンのアイソトープの中性子数の多い限界がこれで説明されました。これまでの理論計算ではわからなかった新しい成果です。
こうして原子核の構造がわかると何がうれしいでしょうか。一つの大きなチャレンジは、宇宙での元素の生成過程を理解することです。水素やヘリウムなどの軽い元素以外は、星の燃焼、つまり核融合によってできたと考えられていますが、それが可能なのは鉄の元素までで、金やプラチナなど、重い原子核はそれではできないことがわかっています。ではどこでできたのか。有力な考えは、超新星爆発などの爆発的現象です。巨大な爆発が周囲に中性子をまきちらし、それを吸った原子核が崩壊をくりかえして金やプラチナなどに至ったというのです。そんなことが本当に可能なのか。理解するには中性子が多い同位体の構造を理解する必要があるのです。スーパーコンピュータ「富岳」はこういうところでも力を発揮します。今後の成果に期待してください。
最初の問題に戻りましょう。マイクロ秒から何万年まで、さまざまな原子核の半減期を説明することは、いまでも難しい問題です。崩壊前と崩壊後の原子核の波動関数を正確に知る必要があるためです。特にウランなどの大きな原子核になると計算もより難しくなります。まだまだ課題は山積みなのです。
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