現在、数値シミュレーションの手法として、「モンテカルロ法」が多用されています。しかし、モンテカルロ法には「符号問題」と呼ばれる大きな課題があります。この符号問題に対して、広島大学の滑川裕介特任助教が京都大学の福間将文准教授たちと共同で進めているプロジェクトが「世界体積ハイブリッドモンテカルロ法」による符号問題の解決です。
符号問題を解決する「世界体積ハイブリッドモンテカルロ法」
さまざまな自然現象を決めている要因の中で、重要な位置を占めるのが物質の性質です。物質は原子でできています。原子は原子核と電子に、原子核は陽子と中性子に、陽子と中性子はクォークに分けられます。このような物質を構成する粒子の働きや構造を解明することが、自然現象への理解につながります。
しかし、自由度(状態を記述する変数の数)が膨大な場合、厳密な計算で物質の性質を解き明かすことは困難です。そこで、数学の統計・確率の手法を用いて物質の性質を導き出そうという試みが編み出されました。これが「モンテカルロ法」です。モンテカルロ法はさまざまなケースへ適用され、大きな成功を収めました。
ところが、モンテカルロ法は、どのような場合にでも使える手法ではありません。モンテカルロ法は確率論に基づいているため、確率に相当する部分が複素数となる場合には、そのままでは用いることができません。複素数の絶対値を確率とみなしてモンテカルロ計算をすることは可能ですが、指数関数的な計算コストがかかります。この問題は「符号問題」と呼ばれます。符号問題を解決するため、これまで多くの研究者たちがさまざまな手法を提案してきました。
このような中、広島大学の滑川裕介特任助教が、京都大学の福間将文准教授たちと共同で進めているプロジェクトが「世界体積ハイブリッドモンテカルロ法」と呼ばれる手法を用いた数値シミュレーションです。「この世界体積ハイブリッドモンテカルロ法は、これまで知られている課題をすべて克服しています。符号問題が発生するあらゆる場面で使える数値シミュレーションの手法として、幅広く利用していきたいと考えています」と滑川さんは意気込みを見せます。
数値計算の主役「モンテカルロ法」
符号問題とは、一体どのような問題なのでしょうか。そして、滑川さんたちは世界体積ハイブリッドモンテカルロ法によって、この問題をどのように解決しているのでしょうか。順を追って説明していきましょう。
まずは、モンテカルロ法について紹介することから始めましょう。ここに、1個のサイコロがあるとします。サイコロを振ると、1~6までの目のいずれかが出ますが、どの目が出るかは振ってみなければわかりません。このような予測不能なランダムな数のことを、乱数といいます。サイコロは乱数を発生させる最もシンプルな道具なのです。この乱数を使用した数値シミュレーション手法がモンテカルロ法です。
モンテカルロ法は、物質中の中性子の動きをコンピュータで調べるため、ウラム(1909~1984)やフォン・ノイマン(1903~1957)らが開発しました。中性子が物質中のどの原子とどのような反応をするか。それによって、中性子がもつエネルギーがどのように変化し、どの方向にどれだけ飛んでいくか。あらゆるケースを想定して、計算するのは困難です。そこで、乱数を使って抽出したサンプルの数値計算を何千回と繰り返し、その結果を統計的に処理することで、実際の物理現象の近似的な解を求めることに成功しました。
それでは、モンテカルロ法で物質の状態を表す量(物理量)の期待値はどのように計算されるのでしょうか。まず、物理量の期待値は積分で定義されます(図1)。この積分を計算できれば良いのですが、巨大な自由度の多重積分であるため、計算が困難です。台形公式などの数値積分法を使用した場合、「自由度の指数関数」という非常に大きな計算コストがかかります。一方、モンテカルロ法では積分に寄与する箇所を確率的に重点サンプリングすることで、自由度のべき乗程度の計算コストで物理量の期待値が計算できます。モンテカルロ計算の結果は厳密ではなく、誤差が伴うものの、サンプルサイズを増やせば増やすほどモンテカルロ法の計算精度は高まります。
指数関数的なコストとは、どれほど大きいものなのでしょうか。指数関数的な増加に関する有名な昔話として、秀吉に仕えたとされる新左衛門の米粒エピソードがあります※1。「階段1段目に米粒1つ、2段目は米粒2つ、3段目は米粒4つ、といったように前の段の倍の米粒を51段分頂きたい」というものです。計算すると、全米粒は 251-1=2251799813685247 粒 = 844425141 米俵 = 50665508 トンと膨大になります。このように指数関数的コストは非常に大きいものです。一方、符号問題がない場合、モンテカルロ法の計算コストは自由度のべき乗程度なので、自由度の1乗の場合はお米 51 粒に相当します。指数関数的なコストに比べれば、非常に低コストです。ちなみに、秀吉は「渡しがたし」と困ったそうです。
このように、モンテカルロ法を使えば実際の測定や計算が困難な現象であっても低い計算コストで予測が可能なことから、今や自然科学だけでなく医療なども含めた幅広い分野において不可欠な手法となっています。
モンテカルロ法が直面する「符号問題」
しかし、モンテカルロ法には大きな課題があります。それは、ボルツマン重みと呼ばれる e-S(x) (本来の確率に相当する部分)が複素数となる場合には、そのままでは適用することができないということです。複素数とは、実数と虚数からなる数のことです。確率は正の数であり、負の数や虚数で表すことはできないのです。
ボルツマン重みの絶対値を確率とみなしてモンテカルロ計算することは可能です。ただし、一定の精度で物理量の期待値を計算するためには指数関数的なコストがかかります(図2)。誤差を期待値よりも小さくするためにはサンプルサイズを指数関数的に増やさねばならないため、それに伴い計算コストも指数関数的に増えてしまうのです。せっかくモンテカルロ法により低いコストで計算できるようになったというのに、符号問題が生じると結局指数関数的なコストがかかってしまいます。
「モンテカルロ法における符号問題は、さまざまな分野で直面する超難問です。そのため、長年、どんな場合でも使える汎用的な解決法が切望されていました。このような中、2010年に『符号問題に対してレフシェッツ・シンブル法が使用できる』という内容を含んだ論文が、超弦理論においてM理論を提唱したことで著名な理論物理学者エドワード・ウィッテン博士によって発表されました(数学的な内容は1983年にファムの論文で言及されていました)。これが符号問題の解決に向けた大きな突破口となりました。そして、この手法を発展させたのが、世界体積ハイブリッドモンテカルロ法なのです」と滑川さんは説明します。
「レフシェッツ・シンブル法」
ここからは、レフシェッツ・シンブル法から、世界体積ハイブリッドモンテカルロ法に至る経緯を見ていきましょう。
そもそもレフシェッツ・シンブル法とはどのような手法なのでしょうか。「レフシェッツ・シンブル法とは、変数領域を複素空間へ拡張し、積分面をうまく変形した上で積分を実行することにより、物理量の期待値を自由度のべき乗程度の計算コストで求めるという手法です。」(図3)。
もう少し詳しく説明すると、まず、先に述べた通り、物理量の期待値は積分で定義されています。この積分面を連続変形しても積分の値は変わらないということが、(通常は満たされるある条件下において)数学的に証明されています。これを『コーシーの積分定理』といいます。数学者コーシー(1789~1857)が示しました。
コーシーの積分定理を使用する際、反正則フロー方程式に従って積分面を変形させていくとレフシェッツ・シンブルと呼ばれる積分面へ到達します。レフシェッツ・シンブルの特徴は「レフシェッツ・シンブル上では、作用の虚部が一定値となる」ことです。つまり、このレフシェッツ・シンブル上で積分を計算すれば、振動積分が緩やかになり、再重み付けしたモンテカルロ法でも「 O(Na ), a= 1 or 2 or 3 …」 のコストで計算できるようになります。
「しかし、残念ながら、これで万事解決というわけにはいきませんでした。新たな問題が発生したのです。それが、『エルゴード性の問題』です」(図4)。一般にシンブルは複数存在し、かつシンブル間には高さ無限大のポテンシャル障壁があります。このため、モンテカルロ法でサンプリングする際、一つのシンブルだけならば計算できるものの、全てのシンブルを計算することが困難です。これをエルゴード性の問題と呼びます。
そこで、2017年、京都大学の福間准教授の研究グループが新たに開発したのが、「焼戻しレフシェッツ・シンブル法」でした。これは、シンブル間を自由に動き回れるように、積分面のコピーを複数用意し、迂回路を作るというアイデアです。これにより、符号問題とエルゴード性の問題を同時に解決することに成功しました。ただし、計算コストは自由度の指数関数から3~4乗へ劇的に減少したものの、大規模シミュレーションを実行するためにはまだ計算コストが大きすぎでした。
すべての問題を解決する「世界体積ハイブリッドモンテカルロ法」
それに対し、2020年、福間准教授の研究グループが提案したのが、「世界体積ハイブリッドモンテカルロ法 (Worldvolume Hybrid Monte Carlo (WV-HMC) method)」(図5)です。積分面のコピーをフローの方向へ離散的に用意する代わりに、コピーを連続的に重ね合わせ、その上で積分してしまおうというアイデアです。加えて、フロー方程式を積極的に利用することで計算量が大幅に減り、符号問題とエルゴード性の問題を解決しつつ、計算コストの問題も軽減できています。
滑川さんたちは世界体積ハイブリッドモンテカルロ法の有用性を評価するため、いくつかの事例について数値シミュレーションを実行しました。その一例がハバード模型という固体中の電子を記述する理論モデルです。世界体積ハイブリッドモンテカルロ法では計算コストが自由度の2~3乗となることがわかります(図6)。また、数密度という物理量について、既存のモンテカルロ法(ALF)では非常に大きな誤差となる場合でも、世界体積ハイブリッドモンテカルロ法(WV-HMC)ならば小さな誤差で計算できています(図7)。
ところで、世界体積とはどのような意味なのでしょうか。実は、これは超弦理論からきているネーミングだそうです。時空の中の粒子の軌跡のことを「世界線」と呼びますが、同様に超弦理論では弦の軌跡のことを「世界面」、面や高次元のオブジェクトの軌跡のことを「世界体積」と呼びます。今考えている変形した積分面の連続的な重ね合わせを複素空間内での積分面の軌跡とみなして「世界体積」と名付けられました。
符号問題により未調査である物理を「世界体積ハイブリッドモンテカルロ法」で解明したい
世界体積ハイブリッドモンテカルロ法について、滑川さんは次のように振り返ります。「世界体積ハイブリッドモンテカルロ法はアルゴリズムとしてひとまずの完成に至っています。ただし、アルゴリズムを実際の物理系へ適用する際に、個々の系に固有の問題を克服する必要がありました。問題の定式化の改良、物理結果には影響しないが符号問題には影響するパラメータの導入および調整などの改良を重ね、どうにかここまで来たというのが正直なところです。そのため、計算結果が得られたときには、非常にうれしかったですね」。
長年にわたり、数値シミュレーションによる素粒子の研究を続けてきた滑川さん。しかし、意外なことに、符号問題に取り組みはじめたのは、2019年だといいます。「私は周囲の方々からずっと、『符号問題にだけは手を出すな。難問過ぎる』といわれていたので、符号問題とは無関係な事例に関する研究を行ってきました。しかし、2019年、高エネルギー加速器研究機構(KEK)の研究員になったとき、遂に符号問題と対峙することになりました。さらに、2020年、京都大学の特任助教となり福間さんの研究グループに加わったことで世界体積ハイブリッドモンテカルロ法に携わることになったのです」。
今後、滑川さんたちは、世界体積ハイブリッドモンテカルロ法を「中性子星内部の有限密度QCD」※5 などへ適用するなど、符号問題によって未解決となっている物理現象の解明に貢献していきたい考えです。
- ※1 国書刊行会 編「新群書類従第一演劇其一」第一書房(1976)
- ※2 M.Fukuma and Y.Namekawa, PoS(LATTICE2024) 053
- ※3 ALF collaboration, SciPost Phys. Codeb. (2022)
- ※4 S.Akiyama, Y.Kuramashi and T.Yamashita, PTEP (2022) 023I01
- ※5 月刊JICFuS:星の最期は内部構造がカギを握る-超新星爆発が起こる理由は質量の大きさだけではない