物質の成り立ちを決めるハドロン間力の解明で新たな一歩


HAL QCDコラボレーションは、独自の手法である「HAL QCD法」を用いてハドロン間に働く力を求め、物質の階層やハドロンの性質を明らかにしようと考える研究者たちのグループです。そのメンバーである東京工業大学 理学院の村上耕太郎さんは、不安定なハドロンや奇妙なエキゾチックハドロンについて研究しています。その成果は、2023年にProgress of Theoretical and Experimental Physics (PTEP)の“Editor’s Choice”に選ばれるなど、注目を集めています。「今後の研究は、スーパーコンピュータ「富岳」の計算資源をフル活用して進めていきたい」と話す村上さんの「ハドロン物理学」の最先端研究を紹介します。

クォークとグルーオンが織りなす広大な世界

 「私たちは、素粒子であるクォークやグルーオンの振る舞いを調べて、この世界の成り立ちを明らかにしたいのです」と村上さんは自らの研究のモチベーションについて語ります。この世界は原子からできていますが、原子は電子と原子核でできており、さらに原子核は陽子と中性子からできています。そして、陽子や中性子をつくっているのが、村上さんが研究対象にしているクォークとグルーオンです。陽子も中性子も、3つのクォークがグルーオンをキャッチボールすることで互いに引き合ってできる集合体です(図1)。クォークとグルーオンは、どちらもこの世界を創る最小単位の粒子である「素粒子」の仲間だとされています。

図1:陽子と中性子は素粒子であるクォークとグルーオンの集まり。どちらも3つのクォークとグルーオンからできている。クォークはグルーオンをキャッチボールすることで、互いに引き合っている。


 
 クォークとグルーオンについては、これまでにどのようなことがわかっているのでしょうか。クォークには質量の異なる6種類があり、さらにそれぞれに3つの状態(「色」)があります(図2)。また、各クォークには反粒子である反クォークが存在します。

図2:クォークについて知られていること

 そして、いくつものクォークとグルーオンからできる集合体が「ハドロン」です。特に陽子や中性子のように3つのクォークが集まったものを「バリオン」、クォークと反クォークが対になったものを「メソン」と呼びます(図3)。代表的なメソンには、陽子と中性子が結合する力を媒介する「パイ中間子」があります。この粒子は、湯川秀樹博士がその存在を予言し、1949年にノーベル物理学賞を受賞しました。

 ハドロンは、クォークがとる状態にそれぞれ光の三原色、反クォークに三原色の補色を当てはめると、ちょうど白色になるような組み合わせをとっています。このことから、クォークやグルーオンの振る舞いが従う基本理論は「量子色力学(QCD:Quantum ChromoDynamics)」と呼ばれています。

図3:ハドロンの仲間であるバリオンとメソン。バリオンはクォーク3つからなり、メソンはクォークと反クォークからなる。いずれもクォークの状態に色を当てはめると、混ぜると白色になるような組み合わせで集合している。

 ハドロンは何種類ぐらい存在するのでしょうか。「身近なハドロンといえば陽子や中性子くらいしかありませんが、構成するクォークの種類やそれらがどのような集団運動をしているかによって多種多様なハドロンが存在する可能性があります。実際、光に近い速さにまで加速した粒子を衝突させて、どのようなハドロンが現れるか実験が行われていています。その結果、約170種類のバリオンと、約210種類のメソンが作り出されているんです(図4)」と村上さんは説明します。

図4:これまで実験で見つかっているバリオンとメソン。加速器で光速近くにまで加速した陽子や中性子などを衝突させる実験によりバリオンは約170種類、メソンは約210種類が見つかっている。

ハドロンの性質に数値シミュレーションで迫る

 ハドロンの概念が打ち立てられたのは1960年代であり、これまでに多くのハドロンの存在が確認されているものの、そのほとんどについて質量や寿命がクォーク・グルーオンからどのように決まるのかといった基本的なことさえわかっていません(図5)。例えば、グルーオンには質量がないので、陽子の質量はuクォーク2つとdクォーク1つの質量の和だと考えられますが、実際は、その約100倍もの質量です。同様に、メソンの質量は構成するクォークの質量の和の約20倍にもなります。

 さらには、「構成するクォークの色を足し合わせると白になる」というハドロンの条件は満たしているものの、バリオンでもメソンでもないもの(4つ以上のクォークからなるもの)が見つかっています。こういったハドロンは「エキゾチックハドロン」と呼ばれ、その性質はほとんどわかっていません。そもそもクォークがなぜ単体で存在できず、混ぜると白になるような色の組み合わせで集まるのかもわかっていないのです。

図5:ハドロンの謎。ハドロンはクォークとグルーオンが非常に複雑に絡み合ってできている。そのため性質の解明が難しく、多くの謎が残されている。

 このように様々な謎があることに村上さんは惹かれ、大学院生の頃から「ハドロン物理学」の研究を続けています。「『ハドロン物理学』ではハドロンの構造を調べることで、その謎に迫ろうとしています。クォークとグルーオンの振る舞いを記述する基本理論である『量子色力学』は図6のような方程式で表され、ハドロンの構造を知るには、クォークとグルーオンの結合の強さを表す\(g\)に注目すればいいことがわかっています。\(g\)を直感的に説明すると、クォークがどのくらいの頻度でグルーオンを投げるかを表す量です」。

 この理屈がわかっていれば、すぐにでもハドロン内のクォーク間に働く力を求めることができ、ハドロン間でクォークやグルーオンが交換されることで生じるハドロン間力も求めることができそうです。しかし、そこに大きな壁があると村上さんは話します。「ハドロンができるエネルギー領域では、この\(g\)が非常に大きいのです。それだけクォーク間で頻繁にグルーオンがやり取りされているということですから、クォークとグルーオンの振る舞いは非常に複雑なのです」。そして、この式を紙とペンで解く(解析的に解く)ことは、「ヤン・ミルズ方程式と質量ギャップの問題」を解くのと同等だと、その難しさを説明します。この問題は、2000年にアメリカのクレイ数学研究所が100万ドルの懸賞金を懸けたミレニアム懸賞問題の1つで、いまだに解かれていないのです。

 そこで、ハドロン物理学の研究者たちは、この難問をシミュレーションで数値的に解こうとしています。具体的には、空間と時間を格子状に切り、その中をクォークやグルーオンが飛び交っていると想定して計算する「格子QCD」という手法を用います(図6右)。それでも計算規模が非常に大きいため、スーパーコンピュータの計算資源は欠かせません。

図6:量子色力学(QCD)を表す式(左)と格子QCDのイメージ

HAL QCD法でハドロン共鳴状態に新たな知見

 村上さんはどのような研究をしているのでしょうか。「エキゾチックハドロンの正体に迫りたいのですが、その取っ掛かりとして、『ハドロン共鳴状態』について調べました」。すぐに崩壊して別のハドロンに変化するハドロンを「ハドロン共鳴状態」と言います。これまでに見つかっているハドロンのほとんどはハドロン共鳴状態であり、村上さんが興味を持っているエキゾチックハドロンも例外ではありません。そこで村上さんは、すぐに崩壊してしまうハドロンと、崩壊しないハドロンの違いはどこから生ずるのかを明らかにすることから研究を始めることにしました。そのためには、崩壊後のハドロン間に働く力を求めなくてはなりません。

 この研究で格子QCDを解く際に用いたのが、HAL QCD法(HAL QCD:Hadrons to Atomic nuclei from Lattice QCD)です。理化学研究所の初田哲男氏、京都大学の青木慎也教授、大阪大学の石井理修准教授らが開発した方法で、格子QCDの数値シミュレーションからポテンシャルという形でハドロン間力を決定できます(図7)。さらに、ポテンシャルからは実験によって得られる散乱データも予測でき、ハドロンの状態を知ることができるのです。

図7:HAL QCD法によって可能になったハドロン間力の計算。①スーパーコンピュータを使った格子QCD計算を行うと、②2つのハドロンの波動関数を求めることができ、③この波動関数からシュレーディンガー方程式を逆解きすることでハドロン間に働く力をポテンシャルとして求めることができる。ポテンシャルとは、ハドロン間の距離を保つのに必要なエネルギーで、ハドロンにはポテンシャルが下がる方向に力が働く。④ポテンシャルからはさらに実験で得られる散乱データをシミュレーションできる。散乱データとは、ハドロンの衝突実験を行った際に、どのようなハドロンがどのくらいのエネルギーでどのような軌跡を描いて飛んできたかを観測回数で表したもので、そこからハドロンの状態を知ることができる。ハドロン共鳴状態にあるかどうかもわかる。

 最近、村上さんはuクォーク3つからできているデルタバリオンと、sクォーク3つからできているオメガバリオンの崩壊を比較しました。デルタバリオンは陽子とパイ中間子に崩壊してしまうことが実験的にも知られています。一方のオメガバリオンはグザイバリオンと反K中間子に崩壊することはありません。uをsに代えただけでこれほどの違いが現れるのはどうしてなのか。ここに崩壊の本質が隠れているのではないかと考えたからです。

 デルタバリオンをつくる陽子とパイ中間子の間に生じる力と、オメガバリオンをつくるグザイバリオンと反K中間子の間に生じる力を、HOKUSAI BigWaterfallスーパーコンピュータシステムとOakforest-PACSスーパーコンピュータシステムを使ってHAL QCD法で解いた結果が図8です。

図8:2種のバリオンの崩壊様式(上)とHAL QCD法で求めたポテンシャル。
ポテンシャルのグラフ出典:Kotaro Murakami, Yutaro Akahoshi, Sinya Aoki, Takumi Doi, Kenji Sasaki(HAL QCDCollaboration), Lattice quantum chromodynamics (QCD) studies on decuplet baryons as meson–baryon bound states in the HAL QCD method, Progress of Theoretical and Experimental Physics, Volume 2023, Issue 4, April 2023, 043B05, https://doi.org/10.1093/ptep/ptad044

 両者のポテンシャルのグラフは原点に向かって下がり続けている、非常によく似たものとなっています。これは、陽子・パイ中間子とグザイバリオン・反K中間子のハドロン間力に大きな違いがないことを表しています。つまり、オメガバリオンとデルタバリオンの崩壊の違いはハドロン間力由来ではないという結果が出たのです。この計算結果から、「バリオンが崩壊するかどうかにはクォークの質量が非常に重要であるが、それにはハドロン間力よりもハドロン質量といった運動学的な要素がおもに関わっている」という知見が得られました。

 PTEP誌に論文を発表したところ、“Editor’s Choice”に選ばれるほど高く評価されました。その理由を村上さんは、「ハドロン間力を求める先行研究はありますが、そのほとんどは陽子や中性子といったハドロンレベルで議論しています。内部のクォークやグルーオンといった素粒子レベルから生じる力を詳細に計算してハドロン間力を扱った例は世界的に見ても珍しいのです」と話します。日本で生まれたHAL QCD法によって始まった「クォークやグルーオンの振る舞いから迫るハドロン物理学」が世界に認められつつあるのです。

図9:エキゾチックハドロンであるΛ(1405)(ラムダ1405)。クォーク5つからなるペンタクォークで、1960年代には見つかっていたが、その性質や内部構造などの詳細はわかっていない。

 村上さんは、いよいよエキゾチックハドロンの研究を始めたいと考えています。「ラムダ1405は5つのクォークからなるペンタクォークで、図9のような2種類の状態の重ね合わせであることが知られています。格子QCDの計算からハドロン間力を求めることで、その性質や内部構造の謎に迫ります。ただ計算量が非常に多いので、2024年度にはスーパーコンピュータ『富岳』を使わせていただく予定です」。

 発見から60年近く手つかずだったハドロンの謎が、HAL QCD法と「富岳」、村上さんたち研究者のアイディアによって解決されていくことに期待が寄せられています。

*日本物理学会が Oxford University Press の協力を得て刊行するオープンアクセス月刊誌

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